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ただの仏教本ではありません。【読むだけ禅修行】ネルケ無方著

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【読むだけ禅修行】は2014年発売の仏教本です。

ドイツ出身の曹洞宗の坊さん【ネルケ無方】さんの著書です。
【ネルケ無方】さんはドイツのベルリンに牧師を父にもつ変わった坊さんです。

【読むだけ禅修行】の内容

【読むだけ禅修行】は、【はじめに】からはじまります。

その後に【その一】から【その三四】までを用いて仏教用語を解説してくれます。

表紙等を見るとかなりライトな仏教本かと思いきや中身はかなり濃いです。

「典座以絆為道心」
「百尺竿頭進一歩」
など意味不明な読み方もわからない仏教用語が飛び出します。

ちなみに読み方は
「典座以絆為道心(てんぞ、ばんをもって、どうしんとなす)」
「百尺竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)」
です。
読み方がわかったところで意味が全くわからないと思いますが、本書内でやさしく解説してくれるので、気になった方は【読むだけ禅修行】を即買いしてください。

【読むだけ禅修行】では、これらの用語を元に禅、仏教について解説してくれます。
中身は非常にわかりやすく読みやすい書籍です。

はじめに ーー ただ生きる

禅といえば何を思い浮かべますか??
ほとんどの人が坐禅を思い浮かべると思います。
それだけでは認識不足です。

禅の考えでは、生活そのものが修行です。禅の実践はつまり、ただ生きること。一日の二四時間のあいだ、修行ではない時間は一分もありません。
〜中略〜
顔を洗うことや布団をたたむことから、修行がすでに始まっています。それから食事をいただくのも、掃除をするのも、日中の作業も当然、修行です。トイレに行くのも、お風呂に入るのも、また同じく修行とみなされています。

【読むだけ禅修行】P6

正しい坐禅の方法などは習わないとできないかもしれませんが、禅の修行はいつからでもできます。
一日の二四時間のあいだ、修行ではない時間は一分もありませんから。

「さぁ、さっそく悟りを得るために修行をしましょう!」
と言いたいところでしたが、修行とは悟りを得るためにするものとは違うようです。

あるいは「悟り」を求めて修行に臨んでいる人もいますが、それはしょせん鼻の前にぶら下がったニンジンでしかありません。修行は何かを得るためにするものではありません。

【読むだけ禅修行】P7

Oh!This is ZENMONDOU!!!

【読むだけ禅修行】ではこんな禅問答チックなことがたくさん出てきます。
いくつか気に入った、気になった言葉を紹介します。

修行その二:大丈夫(だいじょうぶ)

大丈夫は普段使うことばですよね。
大丈夫は実は仏教用語とのこと。

元の意味は「スケールの大きい人」ですが、仏の別称として使われることもあります。また、仏教を実践している人を指すのも「大丈夫」という言葉です。

【読むだけ禅修行】P26

大丈夫に似た言葉に「大人(だいにん)」があります。

大人、または大丈夫というのは、目が覚めた人のことですから、ブッダと同じ意味です。ブッダといっても、釈尊(お釈迦様)だけのことではありません。わたしたち一人ひとりも目を覚ませばブッダであり、「大丈夫」なのです。

【読むだけ禅修行】P27

普段使っている、
「大丈夫」や「大人」という文字ですが捉え方が変わってきます。

修行その三:楽寂静(ぎょうじゃくじょう)

楽寂静は大人(だいにん)として目覚めるための8つのことのひとつです。
楽寂静の意味は静かな場所で落ち着くこと。

静かな場所というのは物理的に静かな場所のことではありません。(それも含めているかもしれませんが)
坐禅とは基本的に静かな場所でやると思いますが、心の中の騒音がでてきます。

一番うるさいのは自分の心の中の騒音です。
この心の騒音が消えれば、どんなに騒がしい場所にいようが静かな場所で落ち着くことができるかもしれません。

騒音にもいろいろありますが、一番厄介なのは、人と自分を比べてしまうことではないかと思います。「あの人のようにわたしもなりたい」「あの人が持っているモノ、わたしも欲しい」「あの人にはゼッタイに負けたくない!」……。そういう内心の騒音が一番うるさいのではないかと思います。

【読むだけ禅修行】P35

修行その八:放下著(ほうげじゃく)

僕は仏教本以外にもコーチングや自己啓発系の書籍を多く読んでいます。

この放下著の項を読むとコーチングや自己啓発系の話をしているのではないかと思うような内容でした。

雨が降れば気分が落ち込む

「晴れてほしい」という思いがあるからこそ、雨が降れば不満です。逆に田畑に水がほしいときには「雨さえ降れば……」と願ったりすることもあるのです。雨が降れば不満、晴れても不満、自分の都合ばかり考えているわたし……。どうやら、問題は天気ではなさそうです。

【読むだけ禅修行】P63

このようなわがままな気持ちを仏教では「執着(しゅうじゃく)」と言うそうで、苦しみの原因のひとつです。

放下著は
「手放せ!」という意味。

執着(しゅうじゃく)を手放そうとして、そのことに執着(しゅうじゃく)すれば無限ループです。

「おれは執着(しゅうじゃく)を手放した!自由だ!ヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」
このような慢心もまた手放す必要があります。

Oh!This is ZENMONDOU!!!

修行その一三:縁起(えんぎ)

縁起はよく使う言葉ですよね。
「縁起がいい」「縁起が悪い」などよく言いますが、そもそも縁起にいいも悪いもないとか。

日本人はすぐに、縁起に「いい・悪い」をつけたがるようですが、本当の縁起はそうではありません。宇宙の中の一切の存在、精神的なものも、物質的なものの、すべてがつながっているというのが縁起の本当の意味です。

【読むだけ禅修行】P94

自己も縁起の中の一部です。
縁起という大きな網が揺れれば自己、つまりわたしも揺れる。

なんか縁起の理解が深まった気がします。

色是空、空即空

般若心経を読んだことがある人なら
「ん?色即是空、空即是色」
じゃないの??
と思うかもしれません。

これは道元禅師の般若心経のオリジナルの解釈とか。
私の好きな苫米地英人さんもオリジナルの般若心経の解釈をされています。

「普通のお経は、如是我聞(我これ聞いた)から始まる。般若心経はこのルールに則ってない。なので偽経」
と言っているのを聞いたことがあります。

ネルケ無方さんもそのあたりをつっこんでいます。(偽経とは言っていません)

『般若心経』が登場する以前の経典は、「如是我聞」という四文字から始まることが一般的でした。
〜中略〜
お経の脇役として釈尊の弟子である舎利弗(舎利氏)や目蓮が教えを説く場面もありますが、主人公はいうまでもなく釈尊一人なのです。ところが、『般若心経』はいきなり「観自在菩薩……」から入ります。つまり、観自在菩薩が主人公です。

【読むだけ禅修行】P183

書面から読み取ると、ネルケ無方さんの解釈では、斬新なお経であるといったニュアンスです。(多分)
道元禅師とネルケ無方さんと苫米地英人さんなどなど『般若心経』にはいろんな解釈があって面白いです。

【読むだけ禅修行】のまとめ

【読むだけ禅修行】は禅宗の坊さんが書いた書籍です。

ですが、禅宗の話だけではありません。
他の仏教の宗派の話や他の宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)の話なども出てきます。

またキーワードとして聖書、釈迦、スッタニパータ、道(タオ)などなど、宗教に関する言葉も多く出てきます。
ただの仏教本ではありません。

合掌


『今』やってること、明日の自分はそのことを誇らしく思うだろうか?
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