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仏教の全体像を学ぶならまずこの書籍→【お釈迦さまの脳科学】

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2010年発売の苫米地英人さんの仏教本です。

古い書籍なので今更感はありますが、苫米地さん的仏教論が書かれています。
上座部、大乗仏教の話、色んな宗派の話、海外の仏教の話。
仏教の全体像が見えてきます。

仏教には色んな宗派があります。
僕自身は無宗教ではありますが、曹洞宗、臨済宗の坐禅会に行ったりしていますので宗教に無関心というわけではありません。

また、会社の同僚には浄土真宗の寺の息子もいますので、仏教が割と近い環境にあると言えます。
坊さんと会話していて思うことが……

臨済宗の考えでは○○という言葉は使いませんね。
浄土真宗的には○は○と一緒です。

といったフレーズをかなり聞きます。
宗派によって考え方、言葉の捉え方が全然違うんですよね。

仏教に興味を持つ前は、
「え??仏教って、釈迦リスペクト、坐禅組んで、お経となえて、悟りに行くんじゃないの??」
そんな程度の人間でした。

よくよく話を聞いてみると、色んな意味でつっこむところが多いのが仏教ですが、身近にあるので学ぶ価値があると思ってます(何より悟りたい。)

【お釈迦さまの脳科学】に書かれている内容と知人が言っていることと違うところもあります。

仏教の解釈は人それぞれ。
苫米地さんの仏教論だけを信じてひけらかすのは良くないと思いますが、仏教の全体像が見えてくる面白い書籍だと思います。

しかも初心者にもわかりやすい。
【お釈迦さまの脳科学】はこれから仏教について学びたい人にはお勧めの書籍です。

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【お釈迦さまの脳科学】の内容

本書は、序章から8章まであります。

【お釈迦さまの脳科学】とありますので、脳科学的に見たお釈迦さんの哲学について。。。
と言った内容を想像していましたが、どちらかと言うと仏教の全体像、日本や世界の仏教の矛盾などについて書かれています。

序章:仏教ブームの正体

いきなりですが、

実は、歴史を振り返って見ると、控えめに言っても、日本に「本当の仏教」が伝えられたことはなかったのです。

お釈迦さまの脳科学P12

「え??そうなんすか苫米地さん!?」
っとつっこみたくなります。

日本の仏教は中国の道教、儒教の影響をかなりうけているとか。
我々、日本人の常識は疑う余地があると思います。

ひとつの常識に
仏教 = 坐禅
的なものがあるかと思います。

でも、浄土真宗は坐禅などはしないそうです。

浄土真宗的には、南無阿弥陀仏をとなえる。
なんやったら唱えなくても良い。って寺の息子が言ってました。
すでにカオスな宗派ですが……

まぁ、僕は仏教というより釈迦の思想自体に興味があるのでここら辺はスルーしておきます。。

ちなみに釈迦のオリジナルに近い仏教はテーラワーダ仏教といわれ、アルボムッレスマナサーラさんが多くの書籍を出されています。

アルボムッレスマナサーラという噛みそうな優しくない名前ですが、アルボムッレスマナサーラさん自体は非常に優しそうなおじさんです。

TEDでもプレゼンされている日本語のしゃべれるスリランカの坊さんです。

「って言うか、インドじゃなくスリランカなんですね。。。」
仏教 = インド
と思っていましたが、実はインドでは現在は仏教はあまり布教していないとか。

……と、言うか、本題からズレそうなので噛みそうなアルボムッレスマナサーラさんの話はここら辺にしておきます。。

話を【お釈迦さまの脳科学】に戻します。
この章の中盤からはスピリチュアル批判が出てきます。

少し前の書籍なので話題は古いですが
江原○之
細木○子
茂木○一郎
等の名前も出てきます。

苫米地氏は上記の方々を遠回しにディスってますね。。。。
上記の方々は遠回しにディスっている程度ですが、占いに関してはかなりディスっています。

占いはカルト。
テレビで占いを流すのは憲法違反。

他の書籍でも同じようなことを書いているので苫米地氏が占いをディスってるのを見た事がある方もいるかもしれません。

で……ですが…………
ですがですよ、皆さん…………

苫米地氏がCEOを勤める【コグニティブリサーチラボ株式会社】では……

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占いのアプリをリリースしているではないか!!!!!!

この辺りが
「どうも苫米地英人って怪しいよね?!」
と言われる所以です。笑

これも釈迦の言う方便でしょうか??笑

1章:釈迦は神の存在を否定

日本で仏教と言えば葬式を思い浮かべると思いますが。。。

そもそも仏教は「あの世」に行くための宗教ではありません。仏教でキリスト教の天国に相当するのは「浄土(極楽浄土)」ですが、釈迦は一言も浄土については語ったことはないのです。

お釈迦さまの脳科学P31

釈迦は僧が葬儀に関わる事も禁じていたそうです。

インドには墓もあまりないそうです。
日本の仏教は釈迦のオリジナルとは違うとのこと。

2章:どこまでが「仏教」か?

インド、中国、スリランカ、ミャンマー、タイなど仏教に関連のある国の話です。

厳密に言えば上座部(テーラワーダ仏教)のみが仏教と言える。
でも、スリランカの上座部とその信者の関係を見る限り釈迦の教えと離れた部分も見受けられるとのこと。。

鐘だけでなく、数珠や密教法具など、日本人が仏教だと思っているアイテムの多くはバラモン教が起源なのです。

お釈迦さまの脳科学P62

常識っていったい……

3章:釈迦の教えは社会改革

釈迦について書かれている章です。
釈迦の時代のインドや仏教、その他の宗教について詳しく書かれています。

この章でようやくRASやスコトーマなど苫米地書ではおなじみの用語出てきます。
「お!きたきた!!」
と思ったあなたは苫米地教の立派な信者です。

「ちぇ、またその話かよ。。。」
って思った方はまだまだです。笑

4章:日本の仏教は老荘思想

お経について書かれている章です。
浄土宗の話、極楽浄土の話なども出てきます。

そもそも、お経の「経」という言葉自体が、道教や儒教に由来するものです。古代の中国では、孔子やその流れをくむ孟子の教えを書いた書物を「経」と呼んでいました。

お釈迦さまの脳科学P94

儒教や道教についても掘り下げています。
シャーマニズム、地獄の話などなど。

5章:チベットのタイムカプセルと般若心経

偽経のお話。
日本で有名な般若心経や浄土教の観無量寿経は偽経の可能性が高いとか。。

常識っていったい……

6章:煩悩はコントロール可能

縁起や苦など仏教用語が出てきます。
普段、何気に使う言葉だとは思いますが、現代で使われている言葉の意味とはニュアンスが違うので注意が必要です。

苦とはその文字が表すとおり「苦しい」「苦しみ」みたいなことだと思っていましたがちょっと違います。
上座部が言う苦とは

人間には細胞レベルの欲求が存在し、そこからわれわれは逃れることができない、というのが彼らの指す「苦」の内容です。苦しいという感情とは違うのです。われわれの言葉で言うとそれは「煩悩」です。

お釈迦さまの脳科学P129

細胞レベルの欲求を
上座部では「苦」
大乗仏教では「煩悩」
と言うそうです。

釈迦も煩悩をなくせとは言っていません。幸せに生きるためには、煩悩をコントロールする必要があると教えているのです。

お釈迦さまの脳科学P132

仏教とは煩悩を捨てること、なくすことが目的だと思っていましたが違うんですね。。。
確かに煩悩がなくなったら食欲もなくなるし性欲もなくなる。
人類滅びますね。

縁起についても解説されています。
かなり分かりやすい説明です。

縁起とは「縁」によって「起」こると書きますが、単体で成り立つものは何もなく、すべては他のものとの関係性によって成り立っているという思想です。
川の水で考えてみましょう。川からコップで水をすくったとします。この水が存在するためには、上流から流れてくる水も下流へと流れていった水も必要でした。コップの水だけではここに存在しえません。水だけではありません、川底の小石も必要ですし、川の流れを生み出す地形が必要です。地形が存在するには地球が必要です。地球があるためには宇宙が必要です。コップいっぱいの水がそこに存在するために宇宙がすべて必要です。これが縁起です。

お釈迦さまの脳科学P141

7章:密教の超能力と方便

密教、輪廻転生、八正道、自力、他力などの用語が登場。

八正道では「正」という言葉が入っていますが、科学的にも釈迦的にも厳密に言うと100%正しいことなんてない。

何が正しくないのか突き詰めて考えると、その基準そのものが空だと見えてきます。「唯一正しいこと」を追求すると、キリスト教とイスラム教の喧嘩になってしまいます。釈迦は、「正しいものは何もない」と言っているのですから、論理的に考えると矛盾しています。

お釈迦さまの脳科学P164

でもなぜ、八正道では「正」という言葉が入っているか?
苫米地さん的解釈では
「正しいとは極端なことをしないという意味です。」
とのこと。

「な、なるほど。。わかったようなわからんような……」

続きまして、自力、他力の話。

個人の努力(修行)によって悟ろうとするのが自力です。
阿弥陀仏(阿弥陀如来)の力によって死後浄土にいくことができるってのが他力本願思想です。

僕の実家は浄土真宗なので他力という言葉を聞いたことがあります。
他力は浄土宗、浄土真宗で重視されています。

浄土宗の法然は「南無阿弥陀仏」をたくさん唱えると極楽往生できると説いたそうです。

でも……
「たくさん南無阿弥陀仏をとなえるのは自分の努力(修行)じゃん??自力じゃん??」
そんなツッコミを入れたくなるのは僕だけはないはず。

浄土真宗の親鸞は念仏は1回となえたらいい(なんだったらとなえなくてもいい)と言ってるそうです。

「となえなくてもいい。。。。か、カオス。。」

「で、釈迦的には他力、自力どっちなの?!」

釈迦は自力も他力もないと苫米地さんは説いています。

座禅は自力的な修行ですが、そもそもその人が座禅という修行法を知ったのは、他の誰かによるものでしょうから、完全な自力はありえないと考えることもできます。

お釈迦さまの脳科学P166

その答えは簡単で、釈迦の教えは「自と他の差はない」と知ることなのです。それが悟りの境地です。

お釈迦さまの脳科学P167

8章:悟りの正体

全体の総まとめ。
あまり書きすぎるとネタバレになってしまいますので内容は書けませんが、この章の小見出しを見ているだけで苫米地っぽさがにじみ出ていますので小見出しをいくつか紹介します。

読みたくなったらあなたも立派な苫米地教の信者です。笑

苫米地っぽい小見出し達

  • 22世紀は、小学校を出るころには全員が悟っている世界
  • 悟りとは縁起でも空でもない
  • 悟りとはすべてのスコトーマが外れる体験
  • 「悟り」は運転免許にすぎない

【お釈迦さまの脳科学】まとめ

【お釈迦さまの脳科学】に書いていることを全て鵜呑みにするのは違うかと思います。

「ここは違うでしょ?」
「これはこういう考え方もできるのでは?」
「この宗派について掘り下げてみよう」
こうやって思考することに意味があると思います。
あくまできっかけを与えてくれるのが書籍です。

【お釈迦さまの脳科学】は仏教について思考するきっかけを与えてくれる書籍です。


『今』やってること、明日の自分はそのことを誇らしく思うだろうか?
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